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鹿島御児神社(宮城県石巻市)

鹿島御児神社拝殿

鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)は、宮城県石巻市に鎮座する神社である。旧社格は県社。延喜式内社の陸奥国百座のうちの一座である。

祭神
武甕槌命、鹿島天足別命(かしまあまたりわけのみこと:武甕槌命の御子神)の親子二神を祀る。

由緒
2015年3月1日、鳥居にて東日本大震災の犠牲者に対して献花するウィリアム王子
創建については不詳であるが、859年(貞観元年)に「鹿島御児神社」の文字が初めて見られた[1]。鹿島御児神社は『三代実録』に記載されている「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社のうちの一社」であり、延喜式神名帳にも「牡鹿十座」の一つとして、その名が記載されている。

祭神の武甕槌命と鹿島天足別命は親子神であり、武甕槌命は香取神宮の祭神である経津主神とともに、鹽竈神社の祭神である塩土老翁神の先導のもと、東北地方の平定を行ったとされている。御子神の鹿島天足別命は、経津主神の御子神である阿佐比古命と共に東夷征伐と辺土開拓の命令を受けて、海路を下向して奥州へとやってきたという。天足別命と阿佐比古命の乗った船が現在の石巻の沿岸へ到着し停泊した時、錨が石を巻き上げたことから「石巻」とこの地を呼ぶようになったという伝承が残されている。

天足別命を祀る神社は、宮城県から福島県の沿岸部にかけて数社鎮座している。福島県南相馬市鹿島区に鎮座する延喜式内社の鹿島御子神社には天足別命と第六天魔王に関する言い伝えがあり、同じく延喜式内社である宮城県亘理郡亘理町の鹿島天足和気神社や富谷市の鹿島天足別神社は、天足別命は祭神ではないものの神社名に「天足別(和気)神」という名前が入っており、いずれの神社も上記の『三代実録』に「陸奥国に鎮座する鹿島大神苗裔を祀る三十八社」として記録されている。なお、石巻市折浜地区には、香取伊豆乃御子神(阿佐比古命)を祀る延喜式内社の香取伊豆乃御子神社が鎮座している。

鹿島天足別命は倭建命の東方遠征に同行した臣狭山命(中臣氏の祖)や浮田国造(吉弥侯部祖)によって広がったと見られ[、奥州における大和民族の開拓事業の先駆者・地方開発の祖神として主に吉弥侯部氏らによって崇敬されており、古くから鹿島御児神社は仙台藩主などの権力者から社領・宝物の寄進や社殿の修築が行われてきた。1874年(明治7年)には村社に列し、1921年(大正10年)には郷社、1935年(昭和10年)には県社に列した。

鹿島御児神社は武神である武甕槌命と天足別命を祀るため、勝利の神として職業繁栄・悪疫除け・鬼門除け・安産の神・海上安全・交通安全祈願の守護神として信仰されている。

境内
鳥居・参道
鳥居は鉄筋コンクリート製で高さ約5メートルであり、1935年(昭和10年)に設置され、東日本大震災を耐え抜いた鳥居として著名であった。しかし、長年の経年劣化に加えて、度重なる地震による損傷が目立つようになり、2021年(令和3年)5月1日発生の地震で一部が損壊したため、解体された。なお、再建費用についてはクラウドファンディングの利用し、工事費1,800万円のうち、1,200万円を集めることに成功した。新しい鳥居は2021年(令和3年)12月12日に旧鳥居より1メートルほど神社側に位置を移して、再建された。高さは約7メートルで、秋田杉の板を使い、表面に木目を付けた。台座部分には雄勝スレートを貼って装飾し、基礎を強化して耐久性を高めた。

 

出典:Wikipedia
画像「鹿島御児神社拝殿」:Bachstelze – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

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