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巨釜半造(宮城県気仙沼市)

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巨釜

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半造

巨釜・半造(おおがまはんぞう、英: Oogama Hanzoは、唐桑半島(宮城県気仙沼市唐桑町)中ごろにある三陸復興国立公園の名勝。巨釜の折石(おれいし)は高さ16m、幅3m。左へ移動すると幅2mと細く、右へ移動すると幅4mと太く見える。石灰岩が変質した熱変成岩地帯で、ほとんどの岩が方解石からできている。波飛沫をかぶるため黒ずんでいる岩の表面の中身は灰色から白色の結晶質石灰岩。大型低気圧が通過した翌日と翌々日、波が炭酸水のように泡立つ。巨釜(北緯38度53分48.0秒 東経141度39分51.0秒)と半造(北緯38度53分34.5秒 東経141度40分01.5秒)の間は幅500mの前田浜(まえだはま)でつながり、その入り江には高さ10m、幅70mほどの八幡岩(はちまんいわ)、500m沖には人参島(にんじんじま)の岩礁にぶつかる白波がわずかに見える。

指定
宮城県指定名勝:巨釜・半造(おおかま・はんぞう) 指定日:1959年(昭和34年)8月31日

概要
巨釜と半造の地形はU字型で、前田浜を挟んで左と右に岬がある。レストハウスや駐車場高台から赤松林を通り、岬先端まで200~400mほど歩かなければならない。巨釜の見所は水取場(みずとりば)、折石(おれいし)、離島の八幡岩(はちまんいわ)、貞定岩(さだとういわ)などで、見晴らし台から左側と右側の細い下り道を辿り、どちらからでも崖の麓まで降りる事ができる。半造の方には、トド岩、東風穴(こちあな)、トンネル岩、狙板岩(まないたいわ)などがあり、巨釜と八幡岩を反対から眺める事ができる。遠方に氷上山(ひかみさん)、広田崎(ひろたざき)、綾里崎なども見渡す事ができる。

地質と岩石
霰石(アラゴナイト)
巨釜と半造は、古生代ペルム紀(2億8000万~2億5100万年前 )から中生代白亜紀(1億4000万~6550万年前)の石灰岩地帯に隕石が落下し、その熱と反動によって形造られた。もともとはウミユリなどが繁殖していた海域で、隕石の衝突や火山活動によって結晶粒子が2mm前後まで成長したため、化石の形跡が全く残っていない。斜方晶系霰石(アラゴナイト)の他、場所や高さによって結晶構造が異なり、三方晶系苦灰石(ドロマイト)や菱苦土石(マグネサイト)の所もある。唐桑半島北端の大理石海岸北側の小門湾(こもんわん)から南側の舘ヶ崎(たてがさき)の大理石に含まれる化石の変化と結晶粒子の大きさの違いから、巨釜・半造の地質的変移をある程度理解する事ができる。折石と八幡岩に特徴的な平らな面は、石灰堆積層と圧力によって形造られた自然石と考えられる。

地名由来
巨釜という地名は、波が荒い日に半造の方から見ると、大きな釜が煮えたぎっているように見え、半造の地名は、昔、鮑(あわび)が沢山取れて繁昌したため、その呼び名が訛ってハンゾウと言われるようになったとされている。
唐桑町や気仙沼市の地元では昔から口語体で「おがま」と言われている。昭和時代までの公式表記は、巨釜・半造(おおかま・はんぞう)、最近は・が略される傾向にあり、口語体で「おがま・はんじょう」→「おがま・はんぞう」→「おおがま・はんぞう」と変わりつつある。
折石(おれいし)という名は、1896年(明治29年)の明治三陸地震の津波の時、先端が2mほど折れたため、そのように呼ばれるようになったと言われている。
八幡岩(はちまんいわ)の名は八幡太郎義家(源義家)に因み、貞任岩(さだとういわ)は安倍貞任が隠れた場所として、その名が残されている。

交通アクセス
国道45号線から海沿いに宮城県道239号馬場只越線、宮城県道26号気仙沼唐桑線へ入り、車で15分約7km。

 

出典:Wikipedia
画像「巨釜」:Sennin-G – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
画像「半造」:Contemporary-s – 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, リンクによる

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