伊豆沼(宮城県登米市・栗原市)
伊豆沼(いずぬま)は、宮城県の登米市及び栗原市にまたがる沼である。面積369ヘクタール(水面面積289ヘクタール)、湖容積約279万立方メートル、平均水深0.76メートル、最大水深1.6メートルである。古くは大沼とも呼ばれた。
概要
伊豆沼は秋から冬にかけて渡り鳥の越冬地であり、マガン(国の天然記念物)、ヒシクイ(国の天然記念物)、マガモ、オナガガモ、カルガモ、コガモ、キンクロハジロ、オオハクチョウ、コハクチョウなどが飛来する。これらを観察するためにバードウオッチングの愛好者でにぎわう。早朝や夕方に一斉に飛び立つマガンの羽音と鳴き声は「日本の音風景100選」に選ばれている。
これらの水鳥の生息地として保護するため、1967年(昭和42年)から「伊豆沼・内沼の鳥類およびその生息地」として国の天然記念物に指定されている。その後1982年(昭和57年)に国指定伊豆沼鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されており(面積1455ヘクタール、うち特別保護地区907ヘクタール)、1985年(昭和60年)に国際的に重要な湿地を保全する「ラムサール条約」に登録された。これは日本国内で2番目の登録地である。
水深が浅い伊豆沼は沼の中央部まで水生植物が繁茂し、中でも7月から8月にかけてはハスが湖面を埋め尽くす。他にもガガブタやアサザなどが見られ、昆虫類ではウチワヤンマやチョウトンボが生息する。また夏季にはチュウサギが飛来する。
伊豆沼の周辺地は水田であり、伊豆沼は灌漑用水の水源として利用され、また同時に洪水を調節する役割を担っている。
歴史
伊豆沼とその周辺は、江戸時代の初めまでは遊水地として未開の野谷地であり、近隣の村々の入会による葦や茅の刈場だった。江戸時代に新田開発が日本各地で盛んに行われるようになると、伊豆沼とその周辺地も開発地として着目された。貞享年間(1684年から1688年)に、伊豆沼周辺地において土地改良が行われ、後に開墾が行われた。伊豆沼の干拓計画もあったが、下流域住人がこれを遊水地を狭める行為と見て反対したために、伊豆沼干拓による新田開発は行われなかった。
水田として開墾された伊豆沼周辺地だったが、低湿地だったことから度々水害に見舞われた。昭和の始めに伊豆沼沿岸耕地整理組合が結成され、用水路や排水路の整備とさらなる土地の改良が行われることになった。この事業は1927年(昭和2年)から1933年(昭和8年)にかけて行われた。排水については、自然排水から機械排水に移行して水害に備えた。太平洋戦争が始まると、国策として食糧増産が急務とされ、長沼と共に伊豆沼を干拓する計画が立案された。伊豆沼の干拓は第1工区から第3工区に分けられ予算2億5400万円をもって1942年(昭和17年)に始まった。この事業は戦後の1964年(昭和39年)まで継続して行われ、伊豆沼の262.69ヘクタールが干拓された。
伊豆沼は1966年(昭和41年)に鳥獣保護法に基づく宮城県の鳥獣保護区に設定され、1967年(昭和42年)に文化財保護法に基づく天然記念物に指定された。また1973年(昭和47年)に宮城県の自然環境保全地域に指定された。伊豆沼の鳥獣保護区の設定は1982年(昭和57年)に宮城県から国の指定へと変わった。1985年(昭和60年)に伊豆沼は隣接する内沼と共にラムサール条約に登録された。
1996年(平成8年)、伊豆沼は当時の環境庁が企画した「日本の音風景100選」に選ばれた。
交通
JR東北本線 新田駅下車、徒歩10分
JR東北新幹線 くりこま高原駅下車、車で20分
東北自動車道 築館ICから30分
出典:Wikipedia
画像「伊豆沼のハス」:Σ64 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
画像「伊豆沼」:Σ64 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる